どーも、momotaro🍑でございます。
先日、「醤油醸造の発祥の地」と言われています和歌山県の「湯浅町」にN-BOXカスタム特別仕様車Lターボで行ってまいりました!
自宅から湯浅町までの往復、どちらも下道です。
途中、道の駅「奥河内くろまろの郷」で一旦休憩。
前回、こちらの道の駅に来た時は「二助三助の猿まわし芸」が行われていました🙉
和歌山県 湯浅町
和歌山県の中部西岸に位置する港町、湯浅町。
町に面した紀伊水道は瀬戸内海と太平洋の狭間にあたり、波穏やかな深い入り江に沿った海岸線は、時間帯でさまざまな美しい表情を見せてくれます。隣接する広川町にまたがる広い湾には広川が流れ込み、天然の良港として漁業が栄えただけでなく、その地形や立地の良さから古来より回船の寄港地や物流の拠点としても発展しました。
町の南北を熊野三山へと続く巡礼の道 熊野古道が貫く「古道歩きの宿場」としての側面からも、水陸交通の要衝として栄えた町と言えるでしょう。
引用:https://www.yuasa-kankokyokai.com/article/1182/
湯浅に着いたら、まずは古き町並みの残る伝統的建造物群保存地区へ。
「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地
1249年に宋に渡った禅僧「覚心」が、径山寺などでの修行、持ち帰った味噌の製法が現在の金山寺味噌の始まりと言われている。
湯浅の人たちがその味噌作りの工程で桶の中に溜まる液汁に改良を重ねて作り上げたのが「醤油」だそうです。
しょうゆーこと!💦
醸造の香り漂う 伝統的建造物群保存地区
和歌山県唯一の重要伝統的建造物群保存地区、通称「伝建地区」には、近世から近代にかけて建築された醸造業に関わる町家や土蔵が建ち並び、醤油や金山寺味噌の醸造で栄えた昔ながらの町並みが残ります。
引用:https://www.yuasa-kankokyokai.com/article/1182/
風情のある素敵な街並みでした😊
そしてお昼ごはんでっせー!
しらすの水揚げ量が県内トップの湯浅町
ということで、湯浅駅から近い「かどや食堂」さんで「さしみとしらす丼の定食」を頂きました。
ごいすー、まいうー!(古っ)
そして今回のドライブの一番の目的、「稲むらの火の館-濱口梧陵記念館-」へ
濱口梧陵(儀兵衛)
1820年 紀伊国有田郡広村(現在の和歌山県有田郡広川町)出身であるので、江戸時代後期から幕末、明治にかけてご活躍
12歳の時に本家にあたる6代目濱口儀兵衛の養子となりヤマサ醤油7代目社長となる。
しょうゆーこと!
1854年「稲むらの火」で安政南海地震の津波から多くの広村の村人を救う
その後、津波の壊滅的な被害を受けた広村の村民のために、救援家屋の建設や農漁具の調達などを行い、離村を防止。1855年から4年間、銀94貫(私財)を費やし、堤防の建設を進める
その後も人材育成や学問の発展、社会貢献のため私財をなげうつ。江戸にあった種痘所が火災にあった際も私財を寄付。その後の西洋医学所、西洋医学研究所、東京大学医学部の基礎となる。
実業家でもあり政治家としても活躍。
和歌山県大参事(副知事相当)、駅逓頭(以前の郵政大臣にあたる)歴任。
佐久間象山、勝海舟、福沢諭吉など多くの知識人と交流。
ドラマ「JIN -仁-」と濱口梧陵
人気ドラマ「JIN -仁-」でペニシリンの精製を金銭面で仁や緒方洪庵らを援助する「濱口儀兵衛」のモデルになっています。もちろんフィクションです。
稲むらの火
”稲むらの火”は、安政の大地震の際、醤油醸造業の当主・濱口梧陵(はまぐちごりょう)が刈り取った稲に火をつけて広村(現・広川町)の村人たちに津波を知らせ、広八幡神社に誘導したという話。
史実によると、津波はもっと壮絶だった。
大波はあっという間に村を襲う。
稲村の火は、波にのまれた村人に避難地の場所を知らせた。
それでも被害は大きく、離村を申し出る者が次々と出てくる。
村の存続を願った梧陵は、防災と村民救済のため、堤防造築という大事業に乗り出した。
村の豪商とともに出資し、老若男女を問わず、広村堤防造築に参加した者には日当を与えた。さらに、新たに建てた住居、農具や漁具を貸し与え村人の暮らしを支えたのだ。
引用 https://www.pref.wakayama.lg.jp/bcms/prefg/000200/nagomi/web/nagomi01/tour.html
そして、「稲むらの火の館-濱口梧陵記念館-」へ到着!
稲むらの火の館-濱口梧陵記念館-
1820年(文政3年)、「稲むらの火」で知られる濱口梧陵は、紀州広村(現在の広川町)で生まれました。
https://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/
安政の大地震津波時、その命の火で多くの村人を救った彼の功績は、現代に通じる津波防災の象徴として広く語り継がれています。
梧陵の偉業と精神、教訓を学び受け継いでゆくため、2007年(平成19年)4月、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターからなる「稲むらの火の館」が誕生しました。
来たるべき時に備え、より多くの津波の知識を身につけてください。あなたの心にも、消えることのない「稲むらの火」を灯すために。
濱口梧陵記念館は、梧陵の生家跡に建てられており、ほぼ火災で消失したが茶室は免れたようです。
津波防災教育センターでは、津波の防災に関する情報がわかりやすく学べます👌
3D津波映像シアターの映像の中に「津波てんでんこ」という言葉が出てきました。
津波てんでんこ(つなみてんでんこ)は、津波からの避難についての標語ないしは合い言葉である。
この標語は、1990年(平成2年)に岩手県下閉伊郡田老町(現・宮古市)にて開催された第1回「全国沿岸市町村津波サミット」において、津波災害史研究家である山下文男らによるパネルディスカッションから生まれたものであり、比較的新しい標語である。「てんでんこ」は、「各自」「めいめい」を意味する名詞「てんでん」に、東北方言などで見られる縮小辞「こ」が付いた言葉。すなわち、「津波てんでんこ」「命てんでんこ」をそのまま共通語に置き換えると、それぞれ「津波はめいめい」「命は各自」になる。
「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。・津波てんでんこ(つなみてんでんこ)は、津波からの避難についての標語ないしは合い言葉である。自助原則の強調(「自分の命は自分で守る」)津波から助かるため、人のことは構わずに、てんでんばらばらに素早く逃げる。
wikipedia 津波てんでんこ
・他者避難の促進(「我がためのみにあらず」)素早く逃げる人々が周囲に目撃されることで、逃げない人々に避難を促す。
・相互信頼の事前醸成 大切な他者と事前に「津波の時はてんでんこをしよう」と約束し、信頼しあう関係を深める。
・生存者の自責感の低減(亡くなった人からのメッセージ)大切な他者とてんでんこを約束しておけば、「約束しておいたから仕方がない」と罪悪感が減る。
広川町役場前の「稲むらの火広場」に松明を持って走る濱口梧陵像があるということで、見に行ったのですが、
草が凄い!(笑)
締めくくりとして、温泉♨へ!
和歌山 湯浅温泉 温泉城
お城の形をした建物の主に宿泊施設です。日帰り入浴もやっていたので行ってみました。
ちなみにすぐ近くに「湯浅城跡」があり曲輪や土塁などが残っているようです。
とても暑かったので、もう行く元気がありませんでした😅
入浴施設は風呂が一つとサウナが一つありました、若干老朽化もありとても清潔というところまでは、いっていなかった印象ですが💦、泉質がアルカリ泉でお肌ぬるぬるの美人の湯でしかも入浴料が500円というのがグッジョーブ👍でした😊
ということで、帰宅です!
往復の距離 約280 km
平均燃費 17.1 km/l
今回は、市内ではないですが、大阪府内を縦断しましたので、信号機も多く燃費が延びませんでした💦
小さな渋滞もありましたが、安全に留意しながら全車速追従ACCを使うことで、かなり疲労軽減になり今回も快適なドライブになりました👍
乗り降りが楽、小回りがきくので寄り道も楽しい、細い道でも心配せずに進んでいける、車内は開放感があり快適、中長距離なら燃費もそこそこ、駐車場で軽専用駐車位置にも停められる、N-BOXに乗ってからドライブがますます楽しくなっております😊
以上
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