どーも、momotaro🍑でございます。
ずいぶんと間が開いて飛び飛びですが、前回の「下道ドライブ 3日目 その①」の続きです。
宇和島城を見学した後、再びホテルに戻りここ宇和島から高知に向けて出発致します!
と、そのまえにせっかくなので宇和海にある「九島」という島に渡り、そこから宇和島城を眺めてみたいと思います。
「九島大橋」を渡ります。
島に向かう橋を渡るとき、わくわくするのは私だけでしょうか?😊
九島から宇和島城を眺める!👀
「遠ぉ~!😆」
ということで、高知を目指してN-BOXを走らせてまいりますが、途中「高知県梼原(ゆすはら)町」というところに立ち寄ってみたいと思います。
「梼原町」と言えば幕末、坂本龍馬と沢村惣之丞が土佐藩を脱藩して、この「梼原町」の「那須親子(信吾・俊平)」のお家に泊まり、その後、二人に道案内をしてもらい下関に向かったという話やそれ以前には「吉村虎太郎」もここから脱藩して、後に寺田騒動や天誅組の創設へとつながっていく、いわゆる土佐を脱藩する道の要所という程度の知識しか私にはありませんでしたが、一度どんなところか訪れて見たかったのです。
「梼原町」 失礼ながら?💦 勝手に古びた小さな田舎町を想像していたら、驚きました!😲
宇和島から整備された山道を走っていくと、結構上ったのでしょうね? 北部は、標高約1500mぐらいある(らしい)ところに、梼原町の中心地が見えてきました!
そこから見えてきたのは、想像していたのとは全く違う景色でした!
そこには、建築家 隈研吾さんの建築物が集まっていた!
どっかのスタバみたいです😊
隈研吾さんと梼原町の出会いは1987年。梼原公民館(現在のゆすはら座)の保存運動に関わっていた高知県在住の一級建築士の小谷匡宏さんが、隈研吾さんを梼原町に招きました。梼原町を訪れた隈研吾さんは、梼原公民館の木造建築に感銘を受けて、自身も保存活動に携わるようになります。
そこから、隈研吾さんと梼原町の関係が始まりました。梼原産の木材を使って、雲の上のホテル(1994年~2021年※現在建替に向け更地となっています)、梼原町総合庁舎(2006年)、雲の上のギャラリー(2010年)、まちの駅「ゆすはら」(2010年)、YURURIゆすはら(2018年)、雲の上の図書館(2018年)と、梼原町に様々な施設が生まれました。
隈研吾さんは梼原町を“自分の原点”と語り、今や世界的な建築家となっています。
https://yusuhara-kumonoue-kanko.jp/kumakengo/
ゆすはら座(移転復元)
大正時代の和洋折衷様式を取り入れた建造物で、モダンな外形に花道のついた舞台、2階の桟敷席、天井の木目の美しさ、また、高知県下では唯一の木造りの芝居小屋で、芝居や歌舞伎、映画上映など住民の娯楽の殿堂「梼原公民館」として親しまれてきたそうです。
隈研吾さんがご自分の原点だと話す場所だそうです。
ということで、とても綺麗に整備された「しゃれおつな町」にとても驚きました😲
「まちの駅ゆすはら」で、「栗志ぐれ」を買いました😊
もちろん、
「維新の道」としての姿も!
梼原町にゆかりのある六志士に、坂本龍馬、沢村惣之丞を併せた八人の銅像が建立されています。 幕末の風雲急を告げる文久2年(1862)春、坂本龍馬は、勤王郷梼原から那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見て脱藩しました。
この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助が国境を越え維新の動乱の渦中に身を投じました。また、これらの志士を身を賭して支える掛橋和泉もいました。それから年を経ること6年、明治維新は成り、近代国家が誕生しましたが、そのとき既に八人の志士は壮絶な死を遂げていました。山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を掛け抜けた男たちの決意が偲ばれます。
志士の足跡が残る地を選び、八志士の群像を建て「維新の門」と名づけ、その功績と英姿を永遠に伝えています。近代日本の黎明は、この梼原の地より輝きました。その郷土を誇りとする青年たちの情熱と、維新の里の発展を希求する町内外の多くの有志の熱い想いが、この群像を建立しました。
https://yusuhara-kumonoue-kanko.jp/spot/ishinnomon/
吉村虎太郎 庄屋屋敷跡
2階には、万が一のために隠し部屋が(はしごがあります)。
その他にも「脱藩の道」の痕跡はあり色々見たかったのですが💦、時間も無くなってきましたので先を急ぎ高知に向かいます🚙
高知と言えば、誰に聞いても「はりまや橋」、「かつおのたたき」。
高知市内に到着しホテルにチェックインして、「はりまや橋」近くの飲食店で晩ごはんにしたいと思います。
私、高知市に来るのは、これで4回目になります。(結構来てます)
「はりまや橋」は4つある?🤔
現在、高知の「はりまや橋」というと、こちら👇
朱色の欄干のちっちゃい木造の「はりまや橋」が有名だと思われますが、こちらは平成5年(1993年)に全国から寄せられたイメージを元に江戸時代の橋を再現したものだそうです。
「土佐の高知の~♪ はりまや橋で~♪」で始まる「南国土佐を後にして」という歌で聴いて、「はりまや橋」はどんな橋なんだろう?と期待して見に来てみてると、ビビるほど💦ちっちゃいので、がっかりされた方も多いようです😓
近くの商店街にはこんな顔出し看板も😆
それはそれで思い出になるものです。
この他にも「はりまや橋」は存在し、一つは現在自動車や市電が通っている「はりまや橋」
そして、明治期の「はりまや橋」が再現(橋の親柱は、架橋当時のものらしい)されたもの👇
そして、もう一つあって、それは「はりまや橋地下通路」という地下道にあるらしいです(私は見ていない💦)
つまり4つの「はりまや橋」があるとのことです
昔、大杉漣さんの「大杉漣の漣ぽっ」というテレビ番組でやってました😊
高知に来たらやっぱり定番「かつおのたたき」
ということで、3日目は終了となります。
最後に燃費報告です。
3日目 宇和島~高知市までの燃費(ディスプレイ値)
走行距離 約133km、燃費25.0km/l となりました。
結構、上り下りはありましたが、なかなか良い燃費が出たようです😊
続く・・・
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