つくづく思うよ!ほんと買ってよかった😊「ホンダN-BOX」で大阪から 信長、秀吉、家康など戦国オールスターが勢ぞろい「金ケ崎の退き口」の金ケ崎城跡(福井県敦賀市)まで往復約320kmの快適ドライブ!


どーも、momotaro🍑でございます。

お城や城下町巡りを趣味にしております私。

先日、福井県敦賀市の「金ケ崎城跡」までN-BOXカスタムターボ「STYLE+ BLACK」で下道ドライブしてきました!


時に寄り道もして、山間の道をゆったりと走りながら思うN-BOXカスタムターボという車の快適性をあらためて実感

天井の圧迫感がなく広々とした車内、おだやかな乗り心地、山間の道を登ってもパワー不足を全く感じない、そして、目線が高く視界の良いフロントウィンドウからはこの時期新緑の美しさを楽しめ、小回りのきくコンパクトなボディーで、狭い道や駐車場もへっちゃら、そして乗り降りの姿勢が楽なので気になったところがあれば、ストレスなくちょっとした寄り道も苦にならない。しかも距離を走っても全然疲れない。普段のちょっとした買い物使いも含めて、改めて自分にとって有意義な車を買って良かったと思っております😊

目的地まで行く途中に、道の駅やコンビニについつい立ち寄ってしまいます💦

道の駅 「スプリングスひよし」(京都府南丹市日吉町)


信号の少ない京都の山間部を気持ちよく走って、たどり着きましたのが福井県敦賀市、これまで何度も来ておりますし、通過もしているのですがここには行ってなかったんですよね💦

金ヶ崎城(かねがさきじょう)跡

敦賀湾を一望する小高い山にある金ヶ崎城跡。様々な時代の逸話がありますが、 平安時代末期、治承・寿永の乱(源平合戦)の時代に、平通盛が北陸で勢力を持つ木曾義仲に対抗するため城を築いたのが最初と言われています。南北朝時代の延元元年(1336年)、恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場として知られ、戦国時代には、織田信長が越前朝倉攻めの際に浅井長政に裏切られ、決死の撤退戦を強いられた「金ヶ崎の退き口」において、窮地を救った明智光秀・豊臣秀吉の殿(しんがり)の地としても知られています。
現在、金ヶ崎城址の麓には金崎宮(かねがさきぐう)が建っています。

引用:ふくいドットコム https://www.fuku-e.com/spot/detail_1006.html

戦乱の舞台としては、南北朝時代の話と戦国時代の話が有名ではないかと思います。
特に戦国時代には、この金ヶ崎城を中心に後の天下人「信長」「秀吉」「家康」が陣を張っていたというのはロマンがあります。

金ケ崎古戦場跡、本丸跡(月見御殿)

金ケ崎古戦場碑
月見御殿(南北朝時代の本丸跡)
月見御殿からの眺め(右の建物は敦賀火力発電所)

海を見ると心が晴れますね👍

この本丸跡から南東の方角へ尾根伝いにさらにアップダウンのある山道を登っていくと、金ケ崎城の支城である天筒山城(てづつやまじょう)があります。

天筒山城跡(手筒山城跡)

1575年、織田信長の朝倉攻めの際は、金ケ崎城を落とす前にこちらの天筒山城を先に落としています。
金ヶ崎城の本丸跡から天筒山城跡までの道のりは、ある程度整備はされていますが、階段、階段でかなり疲れました💦 (地元の方は余裕で登っていきますが😓)

階段は続く💦
こんな看板も😲

ちゃんと鈴をつけて、登っている方もいらっしゃいましたよ。

山城ということで堀切らしきものも

このあたりは、もともと古墳もあって平坦なところが、曲輪の跡なのか古墳の跡なのかわかりにくいみたいですね。

天筒山城 見張台跡(天筒展望広場 展望台)

天筒山城の見張台跡は、現在整備されて天筒展望広場になっており、その中には円筒形の展望台が作られています。展望台からの眺めはmomotaro🍑 Twitterの動画でどうぞ!

天筒展望広場からの眺め 

画像の中央付近には、「気比の松原」が見えます👀

金ケ崎宮(かねがさきぐう)

金ケ崎城跡中腹の金崎宮には恒良、尊良両親王が祀られています。戦国の世には朝倉・浅井軍と信長・秀吉・家康の戦いの場にもなりました。小高い山にあるため眺めも良く、桜の名所としても知られています。

引用:ふくいドットコム https://www.fuku-e.com/spot/detail_1052.html

織田信長の朝倉攻めの際、浅井長政の裏切りをいち早く伝えるため、長政に嫁いだ信長の妹「お市」が、陣中見舞いと称して「両端を結んだ小豆の袋」を送り「兄上は朝倉と浅井に挟まれて袋のねずみ状態ですのですぐに退却してください」と言う状況を伝えたという話(現在では創作と言われてている)がありますが、こちらのお宮の絵馬はその小豆袋になっていました。


そしてお昼は、

福井名物 越前おろしそばとソースかつ丼

敦賀で人気の「千束そば」さんで「おろしそばとミニソースカツ丼のセット」を頂きました。
たいへん、美味しうございました。蕎麦湯も👍



さらに、前から敦賀で行ってみたところへも足を運びました!

水戸天狗党 武田耕雲斎等の墓

1864年時は幕末、武田耕雲斎が率いる水戸天狗党は、尊王攘夷を唱えて挙兵。朝廷に志を訴えようと京都へ上る途中、敦賀の新保で捕らえられました。幕府は厳しい処罰を下し、翌年、来迎寺(松原)で353人が処刑されました。国史跡である「武田耕雲斎等の墓」は彼らが処刑後に埋葬された墓所です。道路をはさむ松原神社境内には、一行が監禁されたニシン蔵が記念館として残っています。

引用:敦賀観光協会 https://tsuruga-kanko.jp/spot/history_culture/takedakounsai-grave/

武田耕雲斎の像と水戸天狗党が眠る墓

近くに設置されているボタンを押すと、俳優で敦賀出身の大和田伸也さんが語るナレーションがスピーカーから流れてきます。

こちらのお墓の道路を挟んだ向かいに「松原神社」があり、その境内に水戸天狗党一行が監禁されていた「ニシン蔵」が舟町から移設され現在「水戸烈士記念館」として残っているということで、

松原神社

行ってみたのですが、どこを探しもありません💦 無いんです!💦

諦めて、お墓の方に戻ってみたら、なんと!お墓側に現在移設中ということでした!
オーマイ ゴッド トゥゲザ~ 😲

水戸烈士記念館(移設中)

とういうことで、この状態です… 残念ながら、見られませんでした😭

とはいえ、敦賀を満喫しましたので帰路につきたいと思います!✋

走行距離 往復約320km 今回の燃費は?


走行距離317.8km平均燃費 23.7km/Lと表示されました。
途中渋滞もあったり、買い物で少し市街地も走ったのでまずまずの数字ではないかと思います😊

「STYLE+ BLACK」、好調を維持しております👌
次はどこの城下町へ行こうかな?


以上


コメント

  1. 桜吹雪が舞う宴 より:

    なななんとぉ、京都市と同じくらい巨大なお家にお住まいだったとは・・